大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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施餓鬼供養の功徳その221

亡き人を思い浮かべることは、亡き人が浮かばれることです。

ここからいただいた感想

 

大森義成先生

8月21日からの施餓鬼供養でお世話になりました。

期間中は日帰りで手術もあり、ハードな1週間でありましたが、無事に終えることができホッとしています。
今回は子供と、父方・母方のご先祖様のお施餓鬼をお願いしたのですが、
自宅での供養では父方の祖父との思い出が蘇りました。

父方の祖父母とは一時期同じマンションの別室に住んでおりましたが、
孫というより嫁の子供という目で見られているのを子供ながらに感じており、
自分が祖父母に甘えた記憶もないし、あまり可愛がられた記憶もありません。
ご先祖様には祖父母も入るよなぁと、正直なところあまり愉快な気持ちが起きないながら追善供養を行いました。

最終日のことです。

滅罪の真言を無心で唱えていました。
突然、マンションに引っ越してくる前の、静岡の祖父母の家が頭に浮かびました。
もう40年以上前なのでうろ覚えですが、
家の間取りから始まり、突如色々な思い出も蘇ってきました。
祖父が私のほっぺが柔らかくて気持ちがいいと、よくキスしてきて、
その時いつもヒゲが痛かったことも思い出したのです。

あれ?私も愛されてたのかな?と、突然感じ、涙が溢れ、自分から優しくしてあげなかったことを悔やみました。
死産した子供のついでと言っては言い方悪いですが、
実はそのくらいの気持ちでお願いしたご先祖様のお施餓鬼でしたが、こんな気持ちになるとは思ってもみませんでした。

祖母が先に亡くなった後、祖父とは同居していたのですが、
その時に中学生だった私が祖父に優しくしたことは一度もありません。
飼い犬を蹴った祖父を見てからは完全に無視する様になりました。
そしてしばらくして祖父は「ここで自分が歓迎されてないことはわかっている。静岡に帰りたい」と、叔母の家に行ってしまいました。
その頃に愛されていたことを私が理解していたら何か変わっていたでしょうか・・・本当に残酷なことをしたものです。

施餓鬼供養を申し込んだときには、餓鬼になってる人がいるとしたら父方の先祖だろうなぁなどと失礼なことも考えていたのですが、
私のほうがよっぽど偏屈で意地悪で強欲で、餓鬼そのものです。
父方の祖父には改めて申し訳ないことをしたと感じています。
こんな気持ちになることも、施餓鬼供養のおかげ様かもしれないですね。
お彼岸にはお墓の前できちんと謝ろうと思います。


大森先生、この度のお施餓鬼も誠にありがとうございました。
今回は私の心に響く供養になったように思います。

お施餓鬼の力って本当にすごいですね。

供養したい人がどんどん増えてきて怖いくらいです(笑)

秋季彼岸会も検討中ですので、申込みの際にはまたどうぞよろしくお願いいたします。

 

撮影Nさん