私の尊敬する神道家、黒住宗忠師は、終始一貫、神にお任せするということを説かれていたが、同時に「捨て任せにすな」と教えられた。
これは「天命に従って人事をつくす」ということ。
そのためには、まずは「自らが、どうしたいのか?」を具体的にはっきりさせる。
このとき気を付けなければならないのが「他者が」ではない。
なぜなら歩み、動くのはまぎれもない、自分自身だから。
さらに「それが成就すると、何を得られるのか」まで考えるとよい。
そして、それにともない、どう行動するかである。
そのうえで、信仰あるものは「お任せする」のである。
私はだいぶ以前に、あるお寺のお世話を頼まれたことがあった。住職はいたが、祈祷寺だったので拝みはするが、現実的なことは苦手なひとで、寺の境内地の問題を何十年もほったらかしにしていた。
総代たちを集めて相手側と話し合っても、まったく埒が明かない。
結局、一番新参者の私が動いた。弁護士を探して依頼すると同時に、本山や法務局などもめぐって資料を収集し、裁判の結果、その問題を解決した。
そのときは若かったので、毎日施餓鬼供養と護摩を修して、問題収束を祈念した。
密教は現実を重視する。弘法大師も何か問題があるときは、拝むとともに、自らも実際に動いたのはよく知られている。私はこれが大事だと考えている。
そして、人事は尽くしたが八方塞がりで、どうにも動けなくなったときには、ただ任すのみである。仏さまの御心のままに。