大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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父を許して

滅罪会に出てくるテーマの一つが「親を許す」
なぜなら、親との関係からの影響は良かれあしかれ、大なり小なりあるからです。
 
そして、同時によく伺うのは「親が許せない」です。
私は、無理に親を許すべきであるとは思ってません。
様々な問題や事情で親を許せないのは、無理もないことなのです。
心情も「許す」「許したい」「許せない」「許さない」…さまざまです。
 
仏さまは大慈悲のまなざしで平等に見つめています。
安心して、今の自分はこうなのだと、取り繕うことなく発露(ほつろ)することです。
どのような自分であってもよい。
分け隔てなく摂受されます。それは密教の悟りの世界から(仏さまの視点)見ると、「一切皆清浄」だからです。
 
大事なのは、親を許すも、許さないも、またそれ以外も、その選択権はその人にあるのです。ゆえに自発的なものです。その選択は自由であることは知って欲しいと思います。
 
ここでは、許す選択をされたかたから、その感想をいただきました。
 
もちろん許さない選択をしても、仏さまは摂受してくださいます。
その選択をして平和に暮らす方もたくさんいます。
今の自分にそのまま気づき、あとは仏さまにお任せです。
 
ここからいただいた感想
(この方は、事情あってお父様と様々な葛藤を抱えていたのですが、滅罪会で許す選択をされました。そして、先ごろお父様が御逝去されました。)
 
 
現在、毎週末には父の弔問の方々がいらっしゃっております。父は常々孤独だと思っておりましたが、孤独ではありませんでした。
その方々から温かい気持ちもいただいております。
私は喪主なので、凛としてしっかりおもてなしをしなければいけないと思って我慢しておりましたが、父の友人達を目の前にし私もやっと声を出して泣けました。
父の友人から《◎◎はやっぱりお父さんを許せないか?》と聞かれましたが、《もうとっくに許してる》というお話もいたしました。
私が葬儀や弔問を拒否したらこのような場はなかったので、やって本当に良かったと思います。
3年半前まではもし父の死の連絡がきても《私には関係ない、知らない》と全部拒否しようと思ってました。
今となっては恥ずかしいお話です。
 
大森先生とご縁を頂き、滅罪会に参加した際は《父を許します》の言葉を言うのがなかなか口から出てこずでしたが、積み重ねて私の気持ちもご供養されてきたんだなと思います。あの憎しみを今の今までずっと持ち続けていたら、それこそ私の顔つきも雰囲気も鬼になってたかもしれませんし、気づかずずっと辛いままだったと思います。
滅罪会で《父を許します》が言えて良かったです。
改めて、ありがとうございました。
 

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