大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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修行には痛みを伴うことあり

昔、子どものころ転んでひざを擦りむいた。

ほったらかしにしていたら、化膿して病院に通った記憶がある。

単に消毒するよりも、すぐに傷口をしっかり水道水で洗うのがよいのだ。

すると傷に入ったゴミや菌なども洗い流してくれる。

しかし、流水に傷をあてれば痛い。

痛いから洗うのを止めれれば悪化して、病院に行く羽目になる。

まずは、その痛みは、傷を治すための痛みなのだということを理解しておくこと。

 

これは腫れや発熱も同じで、そのものは体を治すための自然な反応である。

腫れは患部を水浸しにして、回復を促す。発熱は病原体を殺すためである。

もちろん、それが強いとストレスとなるから、ある程度はおさえてもいいのだが、抑えすぎると治りも悪い。必要な反応だからだ。

 

こころの世界も同じである。

密教の修養をしていて、そういう痛みに似た反応を体験することがまれにある。

心の浄化や癒しを得るために、自然な反応なのでいたずらに恐れることはない。

ましてや、バチでもなんでもない。

適切に修行を進めると、やがて自然に消えていく。

むしろ、言い換えれば修養が進んでいる証拠だと知っておくことだ。


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