以前に故永田大僧正から特殊な法として「通力を切り破る法」を授かった。いわば他者の修法や祈祷、霊力を使えなくする法である。
これは一週間断食をして、その後は肉食を断ち、日々菜食をしていないと伝授できないし、法も効かないということだったので、私はそれを実行した。
大僧正はお魚は召し上がられていたが、私はいまも肉や魚はたべないでいる。
またこの条件でないと伝授はされないので、授かった人はごくわずかだろう。
なんでも、菜食していないと守護神が働かれないそうだ。
大僧正は「この法はきついで、こわい、コワイ」と言っていた。(関西では「こわい、コワイ」と繰返すことをよく耳にする)
(余談だが、私の経験上、本当に通力がある行者は極めて稀である。昔の謙虚で信心深い人の中にはいた。稲荷山に上がっていても昔の先生の話をよく聞くが今はそういう人はいないそうだ。
私も実際、今までに有名無名を問わず通力を看板にする行者に会ってきたが、よく観察しているとそういう力はなかった。まずそういう人は何でも祟、ノロイのせいにする。そう言っとけば簡単だし楽なのである。思い込みである。なかには悪意のない人もいるのだが、良い影響があるとは思えない。
はったりや脅しはうまい。目に見えない世界のことだから、悩んでる人が自信満々に言われるとつい信じてしまうのだ。これを悪用したのが今世間を賑わす霊感商法壺売りである。
もちろん、本当に通力のあるかたとは対峙することはないので、そう滅多に修すこともないのだが。。。)
だいたい施餓鬼供養を如法に拝んでいると、他者からの霊的な干渉を受けなくなる功徳があるので、修する必要がない。
もし、そういう悩みの人がいたら、「破れ鍋にとじ蓋」の譬えのごとく、どこか低い所で波長があっているので、施餓鬼供養と懺悔滅罪、報恩祝福をつづけて、積善と自己浄化、心身調和に努めればよいのである。
また、そういう悩みの人はどこか恐怖心か罪悪感が強くあるので、正直思い込みであることも多々ある。自分の影におびえているのだ。ゆえに守護霊や帰依の神仏に祈ることだ。
以前には、羽田先生からも、一度伝授した法を無効にする作法のご教示を賜った。
密教の修法は、うっかり非器に授けてしまうと、あとでとんでもないことになる。
懺悔話だが、私も過去に何度か苦い経験がある。だから今はほとんど僧侶向けの伝授はしてない。(相手をよくよく見て判断している。それでも難しい)
以前、ある大徳が、新興宗教の教祖があまりに熱心だったので、うっかり密教の法を授けてしまい、問題になったことも。。。
それは授けた伝授阿闍梨の重大な過失となる。その時にこれらの法を修す。
しかし、どちらにしても、あまり使いたくはない法だ。