以前に故上田和尚に、高祖弘法大師を拝むのには何法が相応するか直接お伺いしたところ、「理趣法が相応である」と教えていただいた。これは、恵果和尚が師の不空三蔵のために、また高祖大師が恵果和尚のために理趣法を修した故事によるところが大きい。
昔は両部の大法を修して高祖の法楽としていたようだ。
しかし、後に高祖大師の御本地を弥勒菩薩として崇拝する信仰が高まり、高野山御影堂や奥之院では「中壇弥勒」という特殊な弥勒法を修しているようである。(私もある阿闍梨から授かった)
さらには高祖大師をご本尊として拝む修法が編ぜられるようになった。
これには本軌がないので、それぞれの先徳が感得されたものを次第にしている。
様々な次第があるが、多くは如意宝珠とかかわりがある。
私は幸いにして故永田大阿から水原師編『高祖大師法』、故資延大阿から高見師編『弘法大師秘法』と護摩、諸法兄より中川師編『弘法大師法』鈴木師編『弘法大師法』宮野師編『高祖大師法』の伝授を賜った。
この中で中川師編『弘法大師法』が多く流布しているようである。これは水原師の次第を編じなおしたものである。
大師法の心得は、自らが大師に帰依し、大師とともに行ずること。そして、その御誓願に生きることである。
私は日々、大師拝見の大事、御影大事と大師法の秘印明を結誦しているが、そのたびに「大師はいまだおわしますなる」とその御霊徳を感じている。