大森先生、シリソワカ。
この度は滅罪会並びに不動明王修行会に参加させて頂きありがとう御座いました。
11月13日のブログでの法話「修行には痛みを伴うことあり」の中の
すりむいて傷を負ったらすぐに傷口を水道水で洗う。
痛いから洗うのを止めれば悪化して病院に行く羽目になる。
その、痛みは傷を治すための痛みということを理解しておく。
すとんと腑に落ちました。
そして子どもの頃すりむいてケガをしても「どんな酷いことになっているんだろう」と恐くて傷口を直視出来ず、絆創膏と包帯でぐるぐる覆ってた事を思い出しました。
ゴミやバイキンを洗い流していないので、やはり化膿して大変でした。膝小僧にたくさん跡が残っています。
滅罪会での懺悔は、傷を負った時に水で患部を洗い流う行為と同じことだと感じました。
自分が傷つかない様、人を傷つけてしまったこと、批判されないよう批判してしまったこと、思うままにならないと腹を立てたり怒ること、ありがとう、ごめんなさいが素直に言えないこと等、玉ねぎみたいに剥いても剥いても出てきます。
今迄の過ちは全て心の中の不足感や、自信の無さからくるものだったのだと思いました。
トラウマだと思い込んでいたことは私自身が敢えて離さないでいたのだと。言い訳の余地が欲しかったのです。
けれど、人を傷つけることはなにより私を傷つけ、人への批判は強い自己否定へと繋がりました。心に影を落としていたもの正体があらわれ、呪いの言葉を受け取り、かけ続けていたのは自分だったかと思いました。
准胝観音様は、こんな恥ずかしい心の内も、すっと受け止めて洗い流して下さり「ほら、もう楽になりなさい」と笑って言って下さっている感じを受けました。
とても、心は晴れやかです。
大森先生、心から感謝申し上げます。