四ツ辻にもどり順路へ、大杉大神と磐根大神に参拝
お灯明をあげて、ご法楽。御同行の吉祥成就を祈念
ここは土地と建築の神様である。
さらに眼力さんへ
余談だが、ある僧侶の話。
その僧侶は先輩僧侶から
「お稲荷さんはご利益が早いが、信仰をやめると倍返しの目にあうから信仰するな」と戒められたという。
これを聞いて、信仰のことが全くわかってないなと思った。
だいたい御かげをいただいたなら、やめずに続ければいいだけである。
なにも無理なお参りをする必要はない。
眼力さんの元女将の服部さんから聞いた話。
故砂澤先生がおっしゃるには、
自分のお祀りする神様の格をあげるのは、何か特別なことをする必要はない。
日々のお参りを地道につづけるだけであると。
稲荷信仰に限らず、不動さんでも観音さんでもお大師さんでも、信仰は地道なものである。何神、何仏であってもご縁いただいて拝みだしたら、続けてこそ真の功徳を授かるものだ。継続は力なりである。それは一年二年では出ないかもしれないが、信仰ある人はそれでも続けるものである。
信仰は登山ににている。はじめはしんどいし、なかなか目的地が見えてこない。
しかし、あるところまで来ると視野が開け、雄大な景色を望める。
つづけてみて、はじめてわかる境地がある。信仰の醍醐味が味わえる。
私のところに授戒に来る人は聖天さんの信者が多い。
話を伺うと、はじめはご利益欲しさでお参りしていたが、続けていくうちにそういう気持ちが薄れて、ただお参りがありがたくなってきたと語る人が多い。だんだん信仰が身について来たのである。
そういう私も若いときは伏見稲荷のちかくに住んでいたが、さっぱりご縁がなくてお参りしなかった。というより、避けていた。
不思議なもので、時期がきてご縁が熟すると、大神様に呼ばれてお参りできるようになったのだ。
有難し有難し。シリソワカ