大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

令和4年11月滅罪会の感想その20

大森先生、先日は2回目の滅罪会に参加させていただき、ありがとうございました。


等身大の自分とは、実践していくこととは…と思い巡らし、じっくり心に向き合えました。


愚かな心で愚かなことをし続けたこと、自分が自分を傷つけてきたこと、誰かを蹴落とし誰かの犠牲や我慢の上に成り立つ暮らしの享受に見て見ぬふりしてきたこと、慢心しきりだったこと、意識にすらあがっていない罪、過ちなどが懺悔することとして浮かび、仏様にお預けしました。

 


母を思っていた以上に許せていると気づけ、御先祖様とは父母が入口と…と改めて感じました。攻撃をもう受け取らないことと、母を祝福することは矛盾しないとも。

 


良くしてくれた記憶より、悲しい記憶の方が脳に刻まれ思い出しやすい癖を、認めます。


期間中近くに感じられた父方祖母からは、嬉しいギフトをいただきました。


宝篋印中呪を唱えながら、ふと、いつの日か死ぬ時には祖母が必ず迎えにきてくれるし来てほしいと感じ、子どもたちに見守られ逝くイメージが浮かぶと、急に涙が止まらず、妄想だと思いますが、ありがとうありがとう、大変な出来事が多かったけど良く頑張ってきた、出来事はすべて罰ではない、と言ってもらっているようで、ありがたい瞬間でした。

大袈裟な表現を差し引いても、もったいないほどの機会をいただきました。


病気や障害の影に隠れず、飾らない自分で、これからもやれるだけのことをやった後は仏様にお任せしていきます。


自分も他者も過ちばかりで当然と認めればこそ、家族との普通の日常がさらに安らいでいます。

 


このような機会を、容易に取り組みやすく分け隔てなく与えてくださり、本当にありがとうございました。


すべての修行、御法話など、私たちの側に下りてお導きくださり、本当にありがとうございます。


5日の起床直前には、妄想の極みかもしれませんが聖天様が夢に出ていらっしゃいました。浴油のお作法を受けられながら小さい子どもに抱えられ、「ぷっくりぷくぷく福の神〜」と明るく陽気なお声がし、ハッと目覚めた瞬間に思わず笑いたくなるようでした。


真面目はいいけれど深刻になりすぎず、のような御示唆をいただいた気がしました。


御多用な毎日かと存じますが、今日のように晴れやかに健やかに益々お過ごしになられますように。


今後とも私たちをお導きくださいますよう、よろしくお願いいたします。