豊川様に曽祖父の代から参拝されている方からの感想です。
親に連れられての小さいときのお参りが、大きくなってから花ひらくものです。
いま社会では宗教の二世問題が取りざたされてます。子供を苦しめるのは押しつけであり、信仰とは言えません。
親から強制されるのではなく、ともに参拝し、自然と受け継いだ信仰が生きた信仰かもしれませんね。
ここからいただいた感想
大森先生 シリソワカ
お忙しい中、早速に納め万霊総供養の要項お送りくださり
大変恐縮しております。追って申し込みさせていただきます。
先日豊川様(東京別院)についてお書きになられていて、
とてもとても嬉しく、楽しく拝読いたしました。
子供時代、母に連れられて時折お参りしていましたので、
とても親しみがございます。
船形のお供えものも!
昔日本橋で商いをしていた曽祖父が熱心にお参りしていたようで
その縁で母もお参りしていたのだと思いますが、
当時経済的にあまり余裕がなかったせいか、いつも小さいお餅だけのバージョンで、
お供えする場所も5か所と決まっていました。
(購入するお茶屋さんも決めていて、私もなんとなく倣っています)
コロナ前は、本堂はもちろん、奥の院も自由に上がれて
ゆったりした開放的な雰囲気があったのですが。
伏見様のお山にくらべたら、ミニミニ境内ですが、
大好きな場所です。
他にも実は豊川様に関連する出来事があり、
最近しばらくお参り叶わなかったので、ちゃんとお参りにきなさいということかしらと、今週末早速お参りにいってこようと思っております。
記事をアップくださり、感謝でございます。
豊川様、当時はよくわからず、母の後ろをただうろうろついてまわっていましたが、
小さい頃の経験は、こころの深いところでずっと流れていたように思います。
(お寺だけでなく神社も) 母はあまり欲のない性格で(食いしん坊でしたが)、
寺社へは自分のことを祈るというより、家族が健康であることの御礼や
ご挨拶にいっていたような感じでした。神さまにおまかせ、委ねるという感じで。
先生のブログでお参りの様子を拝読して、母もきっと自分のお参りの仕方でよかったのだと、とても喜んでいるだろうなぁと思った次第です。
そして、小人の頭であれこれ推測、理由付けなどせずに、素直に、ありがたい、シリソワカとお唱えして、お参りさせていただこうと。
こう素直に思えるようになりましたのも、大森先生のお導きのおかげと感謝しております。
昨日書店で「声に出す祝詞、お経、真言」という本が気になり、手にとりましたら、
大森先生、羽田先生監修とあり!即購入したのは言うまでもございません。
また先日、「現世利益のお経(除災招福・家内安全編)」もご縁があり、入手することができました。
つい長くお書きしてしまい、大変申し訳ございませんでした。
今週半ばから厳しいお寒さと聞きましたので、くれぐれもご自愛くださいますよう
今後ともご指導いただけますようお願い申し上げます。