昇る朝日、沈む夕日 どちらも大切です。そこに気づけるありがたさ。
ここからいただいた感想
納め万霊総供養について、お世話になりありがとうございました。
年末で会社が休みということもあり、29日からの3日間は朝と夕方の2回づつ、
拝むことが出来ました。
自分が御真言を唱えるだけでなく、大森先生が修されることと、
ご同行の方々と一緒に修することが大事なんだなと思いました。
大森先生が、ブログで紹介してくださった「大晦日の行事」を参考に
私もこの大晦日には、トイレ、浴室、台所でも般若心経をお唱えしました。
もっとも我が家は3点ユニットバスなので、トイレと浴室はいっぺんで済みました(^_^;)
それで思い出したことがありました。
以前、バスツアーで、西国三十三所に行ったことがありました。
そのツアーは十数回に分けて三十三所を巡るもので、その回ごとに担当者の方が変わります。
ある回の添乗員さんが、帰りのバスの車中で、夕日を見ながら、
多くの人が初日の出はありがたがって拝むが、大晦日の沈む夕日は誰も気にしていない。
沈む夕日に、1年間の感謝があってもいいのでは・・・
というようなことをおっしゃっていました。
大森先生のお会いされた、尼僧さんのお話に、どこか通じるところがあるような気がしました。
で、我が家からは夕日は見えませんが、一応、日没の時間に西の方角に向かって、手を合わせた次第です。
本年もご指導のほど 宜しくお願い申し上げます。
大森先生シリソワカ、ご同行の皆様シリソワカ、一切衆生シリソワカ。