私たちが悩むときは、いわばそのことを抱きしめている状態です。
悩み事と心のなかで適切な距離をとる。間をとると楽になります。
智恵も湧きます。気づきも生まれます。
荼枳尼真天様を信仰しているご同行のかたから、とても興味深い工夫をおしえていただきましたので、許可をいただきご紹介します。
これは他の神仏に対しても応用可能です。皆さんもそれぞれのイメージでよいので、自分にしっくりくるような工夫をしてみて下さい。(護摩の炎に悩み事や感情を入れる観想をされている方もいます)
すると悩みは遠ざかり、神仏は近くなります。
そして如意宝珠は菩提心を表します。
煩悩即菩提で神仏にあずけると、いつのまにか悩みは価値あるものに転じますね。
ちなみに、密教では聖天様の歓喜団、お酒、大根や護摩のお供物(油や米、五穀など)も私たちの煩悩を表していると説いています。
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大森義成先生シリソワカ。
先日、不安・悩みを荼枳尼真天様に預けられるイメージが出来た事、実は既に預けられていた事に気付く事が出来、自分のその時の感情を認めるコツを発見しました!
それは荼枳尼真天様に聴いて頂くやり方です💡
例えば、「荼枳尼真天様、私は今傷付いてるのを認めますシリソワカ」など…
それで、出来る時に荼枳尼真天様の前に不安・悩みを置くイメージをすると、やはり安心します。距離を置けているのも実感します。
しょっちゅう荼枳尼真天様に話しかけてる結果になってますが 笑
あともう一点、私の中でイメージするポイントがあって💡
荼枳尼真天様の前に置く時、不安や悩みは如意宝珠の形をしています。
荼枳尼真天様も白狐様も、如意宝珠に視線を向けて下さっているというのが、結構大事な観想だと想ってます。
なぜかというと、私の悩みや不安を視て下さってる事で、全部理解して受け止めて下さっている、気持ちを分かって下さっている、という感じがするからです。
だから預けられた、という感覚になります。
荼枳尼真天様に預けられるようになった事。
荼枳尼真天様は怖い・厳しい一面があるというよりも、慈悲深い神様というイメージがしっくりくるようになりました。
しょっちゅう、何を預けても優しく受け止めてくれる感覚があります。
合掌礼拝