供養したつもりが供養されている。そこに気づく。これが善龍庵のご供養です。
大森義成先生
こんにちは。お世話になっております。
この度は春季彼岸会に参加させていただき、誠にありがとうございました。
お次第をいただいたころから、お会いしたことがないずっと昔のご先祖様たちが近くに居るような感覚がありました。
流された汗水・煮炊きをしたご飯の香りが漂い、そこに生活していた人たちのなかに包まれていたような。目で見たわけではないのですけれど、不思議な時間を過ごせました。
最後にご真言を唱えた時には、大きな駅のようなところへ沢山の人が入っていく様子が瞼の裏に浮かび「皆様のお見送りをさせてもらえたのかも…」と思っています。
長らく出来ていなかった供養ですが、ずっと気になっていたことを放置せず、出来ることを最後までさせてもらうことの大切さを実感いたしました。
所縁ある動物諸霊への回向につきましては、遠くの方に並んでいる生き物たちの姿と土の香りを感じ、はじめはご供養が届いていないのかなと悩んだのですが
「ああ。もう土に還っているんだ。」と感じてからは、この供養は彼らにとってではなく、私にとって必要だったんだと思い手を合わせ直しました。
その土に養われて自分も生きていたわけですから、改めて供養は心配でするものではなく感謝ありきでするものなのだと。
特に一番気になっていた愛犬は、よく似た犬を続けて見かけるということがあり「元気だよ、心配しないでね」と伝えてくれた気がしています。
先生にご連絡する時には「そもそも相手は、私からの供養を望んでいるのかな…」と躊躇してしまうこともありましたが、供養をすることで私が気づけることがあるのなら、素直にさせていただくことが本望なのでは?と今は考えています。
この度も、貴重な機会をいただきありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
大森先生シリソワカ
ご同行の皆様シリソワカ
全てのご縁にシリソワカ
撮影Sさん