今までの「許し」から、今回の滅罪会は「間(あいだ)」をより重視しています。
>まだまだかさぶたは残っていますが、辛い記憶もそこに当時の感情がのらなければ、遠い景色のように見ることが出来るようになりました。有難うございます。
ひどい目にあう経験があれば、辛いのは当たり前です。
そして、かさぶたは大切です。
それがあるから傷も癒えていくのです。
遠い景色のように見ることができる。
それが、この方に「間(あいだ)」があるからです。
間は適切な距離です。
ここからいただいた感想
大森義成 先生
いつも有難う御座います。
4月滅罪会の申し込み要項を希望致します。
宜しくお願い致します。
私は今回で8回目の滅罪会になるかと思いますが、恥ずかしながら懺悔の部分に心が入り始めたのは前回もしくは前々回の途中位からでした。
初めの頃は「母を許します」が特に辛くて前半部分で力を使い果たして、懺悔に心が入っていないなあ…と感じつつもそれで精一杯でした。
大森先生のブログに「罪悪感の穴埋め」とありましたが私の場合は「被害者意識の穴埋め」だったかと思います。
母にされた酷い仕打ち、酷い言葉、汚いものでも見るような目…私はあんなに酷い仕打ちをされたんだから…という思いが、かさぶたのようにすべての思いの上にかぶさって、身動きとれなくなっていた…と今はわかります。
まだまだかさぶたは残っていますが、辛い記憶もそこに当時の感情がのらなければ、遠い景色のように見ることが出来るようになりました。
まだまだ辛い時や恨みつらみに心がいっぱいになる事も少なくありませんが、敬愛修行会の際の「ああ、私が最も敬愛をもって接しなければいけないのは私自身だなぁ…」という気づきなど、大森先生の各修行会に参加を続けさせていただいたおかげです。有難うございます。