大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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信仰は杖のごとし

人間でいる限り、老いて、病んで、死ぬのはこの世の真理である。

古今東西、いかなる聖者、いかなるカリスマ教祖でもこれを免れた人はいない。

 

ぎっくり腰で起居が不自由になり、杖を買った。

これにすがると痛いながらも、起居ができる。

 

若いときには気づかなかったが、

四国八十八ヶ所をめぐる、お遍路さんのもつ金剛杖は、お大師様そのものなのだというのが、腹の底から納得できる齢になった。

杖がかわりに歩いてはくれないが、杖があるとかなり助かる。支えられる。

 

さて、信仰していても四苦八苦は絶対ある。すべての人に。

そして、なにか苦しいことがあり、それで信仰を捨てても無理はないかなと思う。

とくにご利益信仰だと、仕方ないだろう。

 

(狂信的な信仰はべつとして)

ただし、それはせっかくの杖を捨てるようなものかもしれない。

 

信仰あればなんとか、この苦海を生きていける。

 

信仰は杖のごとし


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