大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

令和5年 敬愛修行会の感想その4

善龍庵
大森義成 先生

拝啓、初夏の候、御多忙が続いていらっしゃると思いますが、ご健勝吉祥成就をお祈り
します。さて、このたびは、愛染明王敬愛会を厳修いただきありがとうございました。
またご腰痛を押して高野山における記念事業のご供養の御結縁、京都方面御巡拝もたいへんありがとうございました。

 

おかげさまで自宅での実修も無事修了となりました。
ご本尊様、御神仏様および先生ならびに御同行の皆様に篤く御礼を申し上げます。

今年は二回目の敬愛会参加となりましたが、昨年は、生命をはぐくむ宝瓶のイメージで
したが、いまひとつ、敬愛のご本尊がなぜ三眼の恐い相をとられていることがピンとき
ませんでした。

 

今年は、前行練習のなかで、ふと、貪瞋癡は、教科書では苦の原因とさ
れますが、それもまた苦そのものだという、仏教ではあたりまえのことながら、あらた
めて気付きをいただき、ようやく三眼の忿怒は、人の内面の三毒に向けてのものであり
、貪りや怒り、無知がなくなれば、そこは本来の生命がもっている敬愛の世界なんだと
いう気付きをいただきました。あまりに当たり前のことで、布袋様のように呵呵大笑し
たい気持ちになりました。


お不動様の修行会では、外側からファイヤウォールで包まれるように外界への迷いやこ
だわりからご守護やお救いをいただき、愛染様には、浄水で内面の浄化をいただくよう
なイメージで、外にも内にも間をとることについて、今月は実修できたような気がしま
した。


三日間の本修行にあたっては、先生と御同行のお助けもいただき、御指示通り無心にむ
きあい、勤行中はいろいろ考えないこととして、梵字ご本尊になにか照らされて癒され
る感覚にまかせました。

 

実修後、般若心経の「照見・・度一切苦厄」とはこういうこと
かと思いました。空観哲学を説いているだけではないのですね。みほとけの眼は、憤怒
の三眼であれ、慈悲の眼であれ、みそなわすことで、癒してくださるのですね。これは
また、不動修行会でも確認して実感ができました。


日常の暮らしでは、利害関係や感情のしがらみにどっぷりとつかって、なかなかこうし
た気づきがないですが、先生の修行会では今回も学びをいただけました。転勤も目前に
せまり、春以来やや諸事行きづまりの感じもありましたが、古参の同僚などの不意のお
助けで、すこしづつ光が見えてきたような気持がしました。

 

因果法則から逃れないにしても、ぎりぎりのところまで、自由な意志があること、そして、内なる怒りや貪りと間をとり、だまされてついていかないように注意して、ふるまいたいと思いました。

そんな気付きをいただきながら、開白にさきだち、報恩謝徳のためお大師様を拝みにい
きましたが、青葉につつまれ、よい風光でありました。写真を別添します。来年まで、
愛染様に照覧されるよう、修行を続けたく、引き続きご指導をよろしくお願いもうしあ
げます。

合掌礼拝 吉祥成就

高野山東京別院撮影Iさん