大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

言葉で楽しく語りかける

施餓鬼供養はご自身が手応えなくても、必ず供養は届いてます。
なぜなら、仏さまの加持力によっているからです。
私たちのご供養はそのための呼び水に似ています。
楽しく語りかけるつもりで拝むのもよい心がまえですね!
なぜなら供養対象は本来仏さまだからです。大森
 
大森先生
 
いつもありがとうございます。
20日土曜日は西大寺に詣でてきました。愛染堂の右側には菩提樹の木が植えられていて嬉しくなりました。お堂から庭に出ると蓮の花が幾輪が咲いていました。お寺の方からは自作の愛染明王霊場御朱印帳を褒めていただきました。
21日日曜日は弘法市です。久しぶりに東寺のお砂踏みで八十八所を回りました。
猛暑で汗だくです。食堂の周囲の短い距離ですが歩き遍路をした様な疲労感でした。
勿論、今回も毘沙門天さんの横にいらっしゃる愛染明王さんにもご挨拶をしてきました。弘法市では植木鉢に入れる苔を購入しました。
 
この度は友人施主の施餓鬼供養をありがとうございました。こちらでも追善供養法を行いましたが、実はこれで手ごたえがあったかどうかが全く分かりませんでした。読誦していても何だか空を切るような感じで、他の御同行の方が感じていらっしゃるような連帯感を得るまでには至りませんでした。
 
ただ20日の早朝、最終日のお勤めの後、施餓鬼供養のことを考えている時にふと、香港にいた時の鬼節(盂蘭節)を思い出しました。道端に沢山のお供物や紙で作った物やお線香を燃やして先祖供養をしますが、あたり一面に赤色の紙に覆われ、やたらとがやがやしていて暗さが全く感じられません。
 
もしかしたら施餓鬼供養というのは、小さな子供をあやすような言葉で楽しく語りかけることから始まるのかなと思いはじめました。そういえば地蔵菩薩真言の中の「かかか」も笑い声を表していましたね。故人を偲ぶのに日本人はどうも湿っぽくなりがちですが、少なくとも施餓鬼供養では何だか違うような気がしています。

撮影Mさん