「先祖とは何だ」と、ある宗教関係の人から問われたことがある。
私は即座に「先祖は自分である」と答えた。
過去無数の先祖も今の自分に凝縮されている。
故に先祖を供養するということは、突き詰めれば自分を供養することなのだ。
過去無数の先祖の中には良い人もいれば悪い人。立派な人もいればそうでない人。普通の人とさまざまである。
今の自分が先祖のどの部分に焦点を当てるかが大事。焦点を当てた部分が現れてくる。
(過去に先祖はいないと言い切っていた人がいたが、根を切ってしまったようなものなので、まるで花や実が枯れるという結末を迎えた。誤解しないで欲しいのは先祖が祟るということではない)
自分の境遇が悪いため、先祖を恨んでる人がいたが、心情的には理解できる。
そういう人が先祖を供養するというのはなかなか思い切りがいるかもしれない。しかし、めげずに供養を続けてると不思議と良い循環が起こり、自然にわだかまりが解けてくるものである。
わだかまりが解けると心が楽になる。いつのまにか罪悪感や劣等感が薄らいでいる。
心が楽になると行動に良い変化をおきる。行動に良い変化がおきれば、周囲に良い影響を及ぼす。するとこだまのように、自分に良い影響が帰ってくる。
先祖本来自分なり
合掌礼拝