私も亡くなった近親や知人で気になる人がいます。自分に近い関係は特に気になります。
そういう方をしばしば供養をしていると、心の奥底からさまざまな感情が浮上してくることがあります。
あー、この亡くなった人に対しては罪悪感を感じていたんだな。とか、この人にはもうちょっと良くしておけばよかったな。などということもありますし、感謝の気持ちが湧いてくるということもあります。いろんな感情が湧いてくるのは珍しいことではありません。
それは特定の個人だけではなく、先祖全体の場合も同じです。
不思議なことにそういう気になる方を供養し続けると、どちらかといえばネガティブな罪悪感や怒り、あるいは怨みや恐怖などの感情が少しずつ薄らいでいき、ときには許しや感謝などに変わってくることがよくあります。
特にそういう風には感じなくても、自然にあまり気にならなくなります。あるいは心の中で距離を取れるようになります。
するとなんとなく生きやすくなってきます。
生きやすくなると周囲との関係も良くなってきます。そうです。供養するものは供養されるのです。
私は供養の心得は、先祖をはじめ気になる。縁のある誰かを意識するということだと考えています。言い換えれば忘れないということですね。気になる時はまさに供養の時です。
合掌
善光寺にて撮影