おん ころころ じゃや ぼっけい そわか
それはお経の読み間違いを補ってくれるという意味。
それだけではなく、濱地天松居士は、この真言を唱えて、痛みを取るというお加持をされていた。
この真言は正しくは菩提場荘厳心中心陀羅尼(ぼだいじょうしょうごん しんじゅうしん だらに)という。
宋の時代、明州に王という人がいた。日々戒をまもり金剛経を読誦すること多年に怠ることがなかった。61歳になったとき、病でもないないのに急になくなってしまった。
冥土では使者にひかれて、冥王にあった。王は自分が幼い時から金剛経を読誦してきたと冥王につげた。
それを聞いた冥王は、王に金の床に座り金剛経をとなえろと命じた。
そのお経が聞こえるところ、たちまちに地獄の苦しみが無くなった。
冥王が「どうしてお経の後に真言をとなえないのか?」と王に尋ねた。
王はこれに対して「世間にはその真言を書いた経本がありません」と答えた。
すると冥王は、部下の鬼に命令して、冥土にある蔵の中から、真言を記した経本を取ってこさせ、王に付属し、「お前は再び現世に帰ったなら、この真言を広めなさい、必ず忘れてはいけないぞ!そして、命が終わったときには極楽世界にうまれるから、二度とここにくることはない」と告げられた。
その間は現世での14日間(昔は殯 (もがり)といって、すぐに埋葬しなかった。)
を経て、この世にもどってきた。のちに91歳で病気することなく、座ったまま往生したのだった。
そういう由来から、今でもこの真言は補闕の功徳があるとして唱えられている。
いわゆる滅罪の功徳があるので、お経の読み間違いも穴埋めしてくれるのである。
当方の秋季彼岸会でも、菩提場荘厳陀羅尼、心陀羅尼 心中心陀羅尼の三種をとなえてご供養いたします。
おん ころころ じゃや ぼっけい そわか
合掌