「信仰は人間形成の基礎」下 原 一平 より
以上述べましたように,、信仰とは自分ひとりの信仰ではいけないのです。
自分も皆さんも共に幸福になると心がけるのが信仰の根本原理であります。
自分が幸福になれば少しでも他の困っている人を救ってあげる。
いわゆる広い意味の心をもってお続けになりますと、今後どなたも幸福になれるわけなのです。
お名前は差し障りがありますから申し上げませんが、私がここへお参りしている間に、かつて非常にみすぼらしいなりのご夫婦がありましたが、この人は今大変な資産家になりました。
この間私がお訪ねしました時に私は「あなたはもうこれだけ聖天様のおかげで出世なさったのだから、多少はこの辺で社会のためにすることを考えた方が良くはないですか」と今申しのべたたような信仰原理をお話したら、涙を流して「いいことを聞かせてくれた。僕は気がつかなかった」
「あなたが善意でわからなかったのならまあ結構ですが、もう人間、ある程度になったら社会のためにお尽くしするということを考えていくと、もっともっと伸びる人ですよ」とお話ししました。
どうか皆さんも迷わずに、しっかりご信仰なさって堂々とお参りしてください。
お山の信仰がだいぶん誤解されていて、「あそこへお参りすると七代の福を一代で取られてしまう 怖いよ」などという人があるが、こんな事は嘘です。
何代も何代も続けて繁栄している信者の方はいくらでもおられます。
ですから一人でも多くの人を幸福にしてあげるのだと、お導きしてください。
それがご自分にも幸福になるのです。これをよくお考えになってどうか一生懸命で信仰していただきたいと思います。終わり
(※全体を通してそれぞれの立場で利他を心がけることの大事が説かれていますね。大森)
『歓喜』の第10号(昭和42年2月20日発行)待乳山本龍院教化部発行より転載
※一部句読点等を改めて、読みやすくした。
