過去にも紹介しましたが、佐保田鶴治先生の守護神や守護霊に対する考え方がとても大事なので、再度触れてみます。
守護神や守護霊において重要なのは、関係性です。これは人間関係と同じく、信頼や結びつきが基盤となります。
施餓鬼供養では、供養を受けて天や浄土へ転生した元餓鬼や鬼神が、行者を守護するという教えがあります。
自分の業は原則として自分自身が受けるべきものですが、霊的なクッションがあれば、その衝撃をある程度和らげることができます。
いわゆる「大難が小難に、小難が無難に」ですね。難は自分の業が消えて行く過程です。
その間に、そこに気づいて懺悔し罪を滅する修行を行うことが肝要です。
最近の心霊科学では、どのような人でもその人に好意を持つ神様は必ずおられると考えています。
よく私には神様がおられないからこんなに不幸になるという人がいますがそれは間違いです。
皆さんには好意を持たれる神様が必ず何人かおられますが、うまくいかないのは神様とその人との連絡がつかないからです。
連絡がつかないと神様は助けることができないのですね。
ここでこうして拝んでいるとだんだん神様と連絡がついてきます。
一柱や二柱ではなく100柱1000柱と多くの神様に助けられる人もいます。
私には相当数の神様が好意を持ってくださっていると自分では信じています
自分に好意を持ってくださる神様と連絡が着くと色々な災いを逃れることが出来ますし、
大難を小難に済ますこともできるでしょう。
そのような力を神様は持っておられます。
災いを全部消してしまうことは神様でもできません。これは自分でやるしかありません。
自分がしたこと自分が招いたことを完全に無くす事は自分の努力による以外に方法はありませんが、どうしても逃げられない災いでも耐えられる程度にする力が神様にはあります。
ですから我々はこうしておれるのですよ。
神様は世界にはいないと信じる人もこの世にはたくさんいますが、そういう人にとっては神様はおられないのと同然で神様はどうすることもできません
ですから悪い運命ならば、その人は徹頭徹尾悪い運命に会います。
クッションがないのですからね。
こういうふうに私たちは考えています。