善龍庵 大森先生
いつもお世話になります。
春季彼岸会申し込み要項希望します。よろしくお願いします。
(中略)
現在、年度末ということもあり仕事ですごく急ぐことがありました。
その際、ご神仏のご
真言を唱え、ゆっくり息をして自分の仕事を時間内に出来るように間違えないようにお導きくださいと念じました(私は今の仕事へ就くときに羽田先生の
毘沙門天様のお札に祈願していたので、仕事のことはいつも
毘沙門天様にお願いしています)。そうしたら仕事上の新しいやり方のア
イデアが浮かび、時間内に終わらせることが出来ました。
ミスも大勢に影響ないようなものでしたし、何より新しい知識が自分に着いたことに自分でもびっくりしましたしありがたく思いました。
家に帰ってから
毘沙門天様に感謝を伝えて手を合わせましたが、あの時の集中はとても気持ちのいいものでとてもありがたかったです。
また、別の時は、地域の役員の仕事で自分のミスではないことで仕事のやり直しがありとてもイライラしてしまいましたが、お不動様のご
真言を唱えた後にこの怒りは自分が一生懸命作成して用意したものを破棄してもう一度作り直さねばならないという悲しみから生まれたもの。
それはそれで仕方ないので後の怒りはお不動様へお預けしますと祈りました。その後は気持ちに引っ張られることなく過ごせましたし、翌日の
不動明王様のお参りの時には怒りより感謝がいいなと改めて清々しくお参りできました。
そんな時、仕事上でも自分のことでも年を経ると誉めてくれる親も上司もいなくなり、日頃の行い次第では感謝されることもなくなると人間は頑なになってしまうとふと頭に浮かびました。
故に自分は感謝を忘れてはいけないとも思いました。私が感謝のベクトルでこの出来事を見れていれば、ここまで怒りを感じることはなかったのかもしれないと思いました。
人間の承認欲求というのは何歳になってもあり、それを拗らせると本当に厄介なんですね。
先ずは自分が自分を認めてあげる大切さ、怒りは自分が悲しかったから、それを認めたらよく踏ん張ったと認めて手放すことに何度でも気づかされます。
また、ある朝はレジで777円が出てお店の人がびっくりして私も宝くじでも買おうかなと冗談を言ったらお店の人も私も嬉しいですと返してくださり、とても気持ちのいい1日のスタートを切れました。しかしこちらの感情にも執着せずに感謝して手放しました。
いい事も悪い事も過ぎれば手放し絶えず今この瞬間へ戻ることは毎朝通勤している車の中で、大森先生が前後左右の車にシリ
ソワカを唱えていると仰っていたことを真似て続けた事で大分分かるようになってきました。
横柄な運転の人に出会っても怒るよりシリ
ソワカをして気をつけてねと思ったり、或いはそういう運転の車とは長めの距離を取ったり、神社の前を通るときはご神仏様シリ
ソワカで前を通らして頂きありがとうございますと唱えたり毎日することで感情に振り回されず私は今運転をしているという状態に戻れるのでとてもいい訓練にもなります😊
長々と失礼しました。
三寒四温で体調も崩しやすい時ですのでどうぞご自愛ください。
合掌