坂村眞民先生の解説
「なぜこの偈が破地獄偈と言われ、地獄の亡者をすくい上げる力を持つのか。
それは亡者たちはもともとからの悪者ではなかった。
では、どうして恐ろしい鬼になったのか。それは彼らの心がそうさせたのである。
だからこの唯心偈の力によって、もう一度彼らを正しい心を持つ者に改心悔悟させたら、鬼が仏になる。それはあの鬼子母神のように」(※ここでいう鬼は地獄に転生した霊というほどの意味だろうか。大森)
「でも、あの世の地獄のことよりも、この世の地獄のことがもっと切実である。
現在日本は衣食足り、かつてない繁栄を続けているが、心の乱れようはかつてない転落を続けている。
この偈が現実性を持つと、先に行ったのはこのことを言いたいからであった。
それにしても私たちは、この偈の最後の言葉をよく噛みしめねばならぬ。
「もろもろの如来を造る」ということの裏を考えてみよう。
それは「もろもろの悪鬼羅刹を造る」とも言えるからである。
ころころするのでこころと言われているが、朝は仏であっても、夜は鬼になるかもしれない。煩悩具足の生身のわれわれである。その強さも弱さも、二つとも持っている私達である。そのため、このような偈も生まれてきたのであって、朝に誦(しょう)し、夕に誦し、フラフラしない、グラグラしない心を養ってゆきたい」
坂村眞民先生の『華厳唯心偈』(平成5年5月28日タンポポ堂発行)より転載