施餓鬼供養は、仏教修行の基本である六波羅蜜のうち「布施」に該当します。
諸の餓鬼は、その業の報いによって飲食を取ることができません。そのため、まず餓鬼の喉を開き、加持した飲食を施します。これによって餓鬼の飢えと渇きを救いますが、それだけでは終わりません。
餓鬼は「慳貪」(ケチや貪り)によってその世界に生まれたため、その業を消す必要があります。そのために「法味」を授けます。飲食が物質的な栄養であるのに対し、法味は精神的な栄養に例えられます。物心両面ですね。
いきなり法味を授けない理由は、先に飢えを癒やさなければ、聞く耳を持たないからです(餓鬼は耳が遠いとされます)。これは「衣食足りて礼節を知る」という言葉に通じます。
実際の作法では、まず発菩提心と三昧耶戒の真言を授け、密教の教えを受け取るのにふさわしくします。これは「餓鬼にも本来菩提心があり、本質的には仏と同等である」ことを真言で示すのです。
その後、宝楼閣陀羅尼、菩提場荘厳陀羅尼、千手根本陀羅尼、光明真言を唱えます。これらは、浄厳大和尚が施餓鬼法に加えたもので、最初の3つの陀羅尼は三途(地獄、餓鬼、畜生)の苦しみを除き、光明真言は六道全体を救う功徳があります。
禅宗で行われる甘露門は、密教の施餓鬼作法が伝わったものですが、菩提場荘厳陀羅尼と千手根本陀羅尼(大悲呪ではない)が抜けています。
私はこれに加え、仏頂尊勝陀羅尼、宝篋印陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、地蔵真言、随求真言、滅罪真言、さらに亡者成仏の極秘印明も唱えています。
これによって餓鬼は業を消滅し、菩提心があらわれ、それぞれ有縁の天や浄土へ転生し、仏道修行を続けます。その過程で私たちを守護する存在となります。
わかりやすくいうと、これが俗にいう守護霊です。
したがって、施餓鬼供養は、私たちと諸の餓鬼が仏様の慈悲の光に照らされて、ともに仏道修行を行い、ともに救われる供養なのです。
私もおかげさまで、40年近く施餓鬼供養を続けてきました。この法を編じた開山大和尚と、一対一で伝授していただいた先師に心から感謝しています。