昨日24日は納めの地蔵尊なので、寛永寺にある天台宗浄名院に参拝しました。
なんと八万四千の地蔵尊建立を発願された第38世住職の妙運比丘のお地蔵さまが、境内狭しとたっています。妙運比丘の遷化後もその遺志をついだ方々が建立をつづけています。
妙運比丘は大坂に生まれ、25歳で日光山星宮の常観庵にこもったとき地蔵信仰を得て、先ずは一千体の石像地蔵菩薩像建立の発願をたてたそうです。ついで、八万四千の建立を発願するのです。
豪潮大和尚の八万四千の宝篋印塔といい、天台宗の律僧は大誓願を立てられますね。
こちらは八万四千地蔵の総本尊。
地蔵真言を念誦して、三界万霊ならびに善龍庵の施餓鬼供養の諸霊に回向。
江戸六地蔵の6番の補欠の地蔵尊(6番永代寺は廃仏毀釈で地蔵尊も壊されたため)
咳を着る、へちま地蔵
真言を唱えながら境内を巡りました。
妙運比丘の道詠
「慈悲のあみ たれて救えよ地蔵尊
生死の海に しずむ我等を」
上記から引用
『地蔵比丘略年譜によれば、「和尚、名ハ幸啓字ハ妙運、無庵ト号ス、大阪ノ人也、文政十丁亥年一月一日生、明治九年五十(歳)、江戸浄名院三十八世トシテ輪住ス。」とある。明治12年年53(歳)、三月地蔵尊前に於て盡未来際を期して大誓願を為した。
発願文に曰く 「伝え聞く大聖釈迦牟尼仏滅後百年阿育大王中天竺に出で八万四千の石宝塔を閻浮堤に建立し上は仏恩に報じ下は群生を救ひ給うと、吾も亦発願す、生前死後自他の力を合せ八万四千の石地蔵尊を此の娑婆世界に建立し…」 と和尚自ら地蔵尊の真影を拝写すること実に八万四千、夫々に番号を付して受施者に与えたのである。明治44年85(歳)で示寂している。』
妙運比丘の大浄行に随喜、合掌。
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ