江戸時代「日本の小釈迦」と呼ばれた慈雲尊者は、薬師如来に病気平癒を祈り、あるいは毘沙門天に福徳を祈るのも全て密教に入るための門であると説かれました。
初めは自分のための「自利」の祈りでも、正しい信仰であれば、繰り返していくと自然と「利他」の祈りや行動へと導かれていくものです。
長く信仰しているのに、いつまでたっても自分の我欲のことだけ祈ってる人は、自利ではなくて「我利」になってます。
そういう人は報恩感謝の気持ちはありませんのでわかりやすいです。また、たとえお願い事が叶っても、それが苦しみへとつながっていくので不思議です。これは他人事ではなく、自分の信仰を省みる「ものさし」でもあります。
しかし、さらにそれを続けていくと「我利我利亡者」生きながらの餓鬼になりますからご用心ご用心。
【施餓鬼供養されている方から次のような感想をいただきました。尊い気づきです】
大森先生
お世話になります。
ご供養の段、ありがとうございます。
これまで仏天にお祈りしていても自分の事のみでしたが、お施餓鬼いただいたあたりから、家族以外の他人様の平安も気にかける気持ちが僅かながらですが芽生えて参りました。何か気づかされた気が致します。
大変な年になりましたが、ご縁を
いただいた事、心から感謝申し上げます。
仏縁尊し、ありがたし。
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施餓鬼供養の申し込みについて - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵