善龍庵で修する施餓鬼法では、千手眼陀羅尼という千手観音の陀羅尼を唱えて餓鬼を供養する。
千手観音は六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を救う六観音のうち、餓鬼道の救済を担当している。
施餓鬼法は密教の修法のなかで、天部の法に分類される。餓鬼を初め、それに類する鬼神たちを供養し、縁のある天や浄土に送る法である。追善、滅罪、増益などに修される。
天部の法のなかで、千手観音の陀羅尼を唱えて法楽とする尊がいる。それが毘沙門天である。(この伝は、京都仁和寺につたえる西院流にあり、散念誦で唱える)
毘沙門天は四天王のうち、膨大な数の夜叉鬼神を眷属としている。それらを部下として、仏教の信仰者をまもり、功徳を積ませるために福徳を授ける利益がある。(ちなみに広目天の眷属は龍である)
そこで『毘沙門天王功徳経』には、毘沙門天の功徳を得るには、まず仏法僧の三宝に帰依する三帰と五戒を守ることが前提になっている。
毘沙門天は観音の三十三身のうちの1つであることは、よく知られているが、なかでも千手観音と毘沙門天は密接に関係がある。そう毘沙門天の本地は千手観音なのだ。
千手観音が救った餓鬼や鬼神は、それぞれ縁のある浄土や天にいく、そこでまた修行をして功徳をつみ、仏果を目指す。
そんななかでも毘沙門天の眷属になって(たとえてみれば、再就職)仏教信仰者を守護するのは活躍しやすいだろう。
受け入れ先まで用意されているのだから、善巧方便(ぜんぎょうほうべん)とは良く言ったものだ。
施餓鬼供養の呪願(しゅがん)でも、天に生まれかわったら、行者を昼夜を問わずに守護し、願いを叶えるようにと餓鬼たちにむけて唱えている。
京都の鞍馬寺は京都の鬼門よけに祀られた毘沙門天と天狗(鬼神の類)である魔王尊の信仰でしられる。そして、ご本尊は千手観音である。
千手観音に救われ、毘沙門天の部下になり、仏教信仰者を守護するという、前述の霊的システムがよく表されていると思う。
施餓鬼供養は、拝む行者や施主が大きな功徳を積むことのできる法である。
同時に供養をうけた餓鬼や鬼神、その他の霊たちも功徳を積むことができるようになる、自利利他円満の大悲方便なのだ。
だからこそ、真言行者は日々施餓鬼を修し、継続して供養するのである。
仁和寺山門