伏見稲荷の本願所、愛染寺に伝わっていた「稲荷大明神託宣(いなりだいみょうじんたくせん)」は、稲荷信仰における極意が説かれている。わかりやすく意訳してみよう。
「もろもろの人よ。鬼神や天魔のごときものであっても、これを嫌ったり憎んだりしてはならない。むしろ大いなる慈悲の心を奮い起こして経典や真言陀羅尼を読み授けてやるべきである。かりそめにもこれらの霊を降伏して滅ぼしてやろうなどの心を起こしたりしてはいけない。そうとはいえ、煩悩で汚れている世の中の人々は、自分の気に入らないものはすぐにでも払いのけようとするものである。そのため返って災いの種となることがある。せっかくの願い事も成就することができずに、1日でも満足な日をすごせぬことになるのだ」
これは何か鬼神(おおくは餓鬼)や天魔を追い払うのではなく、供養することが最終的に願望成就や安心した生活を過ごすことにつながることを暗示している。
面白いのは「経や陀羅尼を授けよ」とある。これはただ読経するのではなく、実際に鬼神らに授けるのだ。じつはこれが施餓鬼供養のなかで行われている。
施餓鬼供養では加持した飲食物を供えた後、三昧耶戒(密教の戒)を餓鬼たちに授け、そのあと滅罪の真言陀羅尼を唱える。これは三昧耶戒を受けないと、滅罪の真言陀羅尼を聞くことができないからである。
生駒山宝山寺開山の湛海和尚は、長年拝んできた聖天尊から、不動明王の行者に転身した時、時折あらわれる聖天尊を天魔(障礙神=ビナヤキャ)が邪魔しにきたと調伏したという。しかし、寺内の飲食物などが不足し、万事が不如意になってきたとき弟子に聖天尊を供養させるようになったら、すべて整うようになったそうだ。
湛海和尚は聖天尊から「おまえは困るとわしを頼みにするが、修行の邪魔だと自分都合でわしを捨てる。お前がすてても、わしは捨てないぞ」と、しばしば恨み言をいわれている。
ある行者は、人間関係に問題があると、相手の先祖や所縁の霊を施餓鬼供養するといっていた。余談だが手術のときは執刀医の背後霊を施餓鬼供養するとうまくいくとも。
たしかに不空三蔵が翻訳した『仁王経』の護国品には、人々の心が乱れるまえには、多くの鬼神とその眷属が乱れると説かれている。
もちろん、そればかりで万事解決するわけではないが、眼に見えない世界にも気をつかうことが良い関係性をつくるのだろう。
※大森義成に施餓鬼供養を依頼希望のかたは下記アドレスまでメールください。
詳しい要項を送ります。
当庵では七座にわたりお経に基づき如法にご供養し、あわせて尊勝陀羅尼、宝篋印陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼等をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。供養は継続することが可能です。
なお、施餓鬼供養に関すること以外はお返事できませんので悪しからずご了承ください。
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