故松本長老のご法語から。
覚束ない我が身であるが、ここぞというときに軸となる信心を磨くことを、あらためて肝にめいじたい。合掌
平素はかなり信心深く見える人も 、ひとたび何か大事が起こると自暴自棄になり、悲観的になりがちである。
かかる人は、信心をしていたのではなくして信心をしているつもりで、実は神や仏を弄んでいたのである。玩具はまさかの時には役に立たない。
故松本長老のご法語から。
覚束ない我が身であるが、ここぞというときに軸となる信心を磨くことを、あらためて肝にめいじたい。合掌
平素はかなり信心深く見える人も 、ひとたび何か大事が起こると自暴自棄になり、悲観的になりがちである。
かかる人は、信心をしていたのではなくして信心をしているつもりで、実は神や仏を弄んでいたのである。玩具はまさかの時には役に立たない。