大乗仏教では経典や聖句の書写を重要な修行と位置付けている。
さて、毎日「南無大師遍照金剛」の御宝号を11回書写していると、御同行のNさんから教えていただいた。
お友達に勧められたのがきっかけとのこと。
とくに私が感心したのは、「南無大師遍照金剛」を一行書くごとに、ご先祖様各家や家族、友達などにに感謝を込めているというところ。
どんなふうにやっているのか尋ねたら
一行目はお大師様に
二行目は高野山の僧侶の皆様と写経を薦めてくれた友達に
三行目はそのほかの助けてくれる友達たちに
四行目は家族に
五行目は父方のご先祖に
六行目は元婚家のご先祖に
七行目は母方のご先祖に
八行目は自分の前世に
九行目は好きだった人に
十行目は亡くなったペットに
十一行目は三界万霊に
それぞれ贈る気持ちで書いています。
とお返事を頂いた。
お大師様のご宝号のみならず、自分の信じる神仏の名号でもよいなと思った。たとえば観音さまなら「南無大慈大悲観世音菩薩」など。回数も7回とか21回自分で決めてかまわない。
続けられる数が良い。
Nさんのようにご先祖やご縁ある方々に贈る気持ちで書くとさらに気持ちがこもる。
ちなみに、徳川家康は日課念仏といって、毎日「南無阿弥陀仏」を書写していたという。
日課念仏を紹介している上記のサイトの中には、興味深い話が掲載されている。
家康が書いた660の南無阿弥陀仏の名号の中に「南無阿弥家康」と書かれた箇所が六カ所もあると紹介されている。理由はわからないとあるが、私はここに注目したい、
「阿弥」と名前に付けるのはいわゆる「阿弥号」だと思う。
念仏の信仰者が自分の名前に「阿弥陀仏」や「阿弥」をつける。
家康がそれを書いたのは、信仰者としての自分を認める。すなわち自分の祝福だったのではなかろうか。