善悪は莨(たばこ)の種をまくようなもの
黒住宗忠師のお言葉
この註として、
「莨の種は微細にしてほとんどあるかなきの小さきものながら、生長すれば大いなる葉をいだす。善悪ともに最初の種はよし小なりとも、後には驚くべき大いなる結果を生ずる。小善は小善ならず、小悪も小悪ならず。侮るべからず」
とあります。
このくらいと侮るのが私たち。
そこに宗忠師は警鐘を鳴らしてます。
仏陀の逸話にも、貧女の一灯は長者の万灯をこえる功徳ありと教えてます。
すぐできる小善は、テレビや報道で、心温まるような話を意識して見つけて、心の中で随喜するのです。それを1日に1回は行う。
これは余談ですが、報道や表現には表に出ていない背景がありますので、誤解しないように気をつけましょう。特にネガティブな記載は印象操作をしてる場合があります。疑ってかかるというよりは、そこにすぐ飛びつかないで、よく観察するのが大事です。うっかりすると善行のつもりが、悪に荷担する羽目になります。
「寸善尺魔」や「邪陽に泥むな」が大事です。
せっかくなら、日々小善をこころがけたいですね。