願いを込めて、御宝号を唱え唱え唱えてやまなければ、私たちは間違いなく、この心の功徳をいただくことができる。
遍照金剛の御名を念誦すれば、その功徳がひたひたと私たちの心身に満ち溢れる。
心は澄きり 身は爽やかになり、言い知れぬ歓喜が込み上げ、すべての人すべてのものが愛おしくなる。
この心が遍照金剛である。
もとより、私たちのいただく功徳は自分の罪や煩悩のために充分、完(まった)きものではない。
いわば、それは小分の功徳にすぎぬ。
けれども、この功徳を積み重ね、功徳に功徳を重ねていくならば、ついには完き功徳をいただくに違いない。
(本文の読みやすさを考慮し、原文からカナを漢字に改め、句読点を変更し、()にて原文を補った。)
本文『神代峻通講話集』 神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載

神代先生のお墓 奥之院参道 天徳院墓所にて撮影