お大師さまは「三昧耶戒の序」というお書物の中で、私たち信徒の持たねばならぬ心得が四つあると言って、その第一を信心と申された。
その信心は、細かにはさらに10の心映え(註、心の有りようの事)を含む。
そのうち特に人と人との関係に関するものを挙げると、随喜、尊重、讃嘆、愛楽(あいぎょう)の四つとなる。
他人の美徳や善行を見ては、自分もそのようにありたいと努めるのが随喜。
徳ある人を尊重して、侮らないのが尊重。
すべて善きことやすぐれた行いを褒め称えるのが讃嘆。
そして人々を慈しむのが愛楽。
これがお言葉によると大慈悲心の本である。
仏に頼って心が素直になれば、人は自ずからこうした世渡りの上の美徳が身につくのである。だからお大師様は、その10の心映えの最初に「第一は清らか」と申しておられる。清らかとは素直ということだと私は考える。
イエス・キリストも、その「山上の垂訓」と言い伝えられる有名な説教の中で「心の清き者は幸いなり」と言われた。心の清きとは幼児の如きをいうのである。心に何らのひがみや偏りのないのをいう。
アメリカのデューイという名高い哲学者は、哲学のつずまりは「naivetyを得る」にある言うたた。
naivetyiとは「うぶ」または「無垢」ということで、人の文化あるいは教養以前をいう。
(註、デューイは「naïve experience(素朴な経験)」「innocent perception(無垢な知覚)」「childlike curiosity(子どものような好奇心)」などという用語を用いている)
ところで、無垢は仏の本性でま、た衆生の本性でもある。それを菩提心という。
それをまた虚空の相(すがた)とも、大空(たいくう)とも言う。
清らかとはまさにそれに当たる。素直とはまさにそれに当たる。
素直とは難しく言えばこういうことである。
子供は無心だからなんどきも朗らかである。歓喜は子どもの性である。
そのように御仏の素直な信徒にはその心におのずから喜びがわく。
そこでお大師様は「三には歓喜」とぬからず信心の秘密をおもらしになった。
信心ある人で心に歓喜のない人はない。心に歓喜なきは信仰と言えぬ。
こうして、世の中では、み仏の信者はおおむね好人物として人々に親しまれ、また愛される。彼はよき友であり、良き夫であり、良き妻であり、良き父であり、良き母であり、良き子である。
続く
