大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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世は同行ー大師信仰のしおりー その15 神代峻通師

ところが人によっては大抵のことでその声が出ない、喉につかえてしまう。

たとえ出ても仏のお名を呼ばないで、あらぬものの名を求めるのである。

そのために人は求めれば求めるほどあらぬ方に走って、本を離れるのであり、こうして人は果てしない苦悩を受ける。

衆生とはこういう限りない迷いに悩む人間のことである。

それでもこういう衆生の願いは実に切ないものである。やるせないものである。

やみがたい悲願である。ギリギリのもの絶対のものである。

満たされねばまとまらず、満たされねばやまないものである。

俗信仰というものがたとえ淫祀邪教の信仰であって、も世のなかに絶えないのはこの故であろう。

 

それは必至の信仰である。それだけそれは純粋で、一筋である。

万人の願いがそこにこもる。

しかもそれは無辺である。衆生は無辺だからである。

 

本文『神代峻通講話集』神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載

 


世は同行ー大師信仰のしおりー その14 神代峻通師 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

 


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