もしそうだとすると、私たち信者はただおまかせをして安心しているだけでは済まされぬ。
ましてや物乞いやおねだりばかりしていてはなおさら相すまぬ。
自分もお大師様のお心になって、その御用を務めるのでなければならぬ。
言い換えるとお大師様の恩寵(おかげ)をあまねく人に分けてあげるように努めねばならぬ。
そうすればお大師様のその愛と能力とが私たちの身に自然につくのである。
お大師様を信じても、ただの物乞いやお任せの信仰は、信仰の本意ではないのである。
物乞いをするのではなく、自分が施をするものとなるのでなければならぬ。
お任せをするのではなく自分が人の世話をするのでなければならぬ。
夜に日に願力を振るって衆生の救いに努めておいでになるお大師様のお仕事に奉仕せねばならぬ。
それで初めてお大師様の真の信者と言われるのである。
自分が苦労をしないとお大師様のご苦労はわからない。
自分が愛の苦労をしないと、お大師様の慈悲のご苦労はわからない。
続く
本文『神代峻通講話集』神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載
