大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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霊がお礼にきたはなし その2

天台密教の大家であり浅草寺貫主であった故清水谷恭順大僧正は、修行時代から晩年まで、日々施餓鬼供養を怠らなかったそうだ。

そんな清水谷師の弟子のなかに、餓鬼にまつわる不思議な体験をしたT師がいた。

 

T師はもともとクリスチャンで医者であった。その母が亡くなるとき「Tよ、私が死んだら施餓鬼供養をしておくれ」と遺言した。T師は「お母さんわかりました」とはいったものの、その葬儀がすんだら、そんな約束は忘れてしまった。

T師は毎年夏は海辺の町で避暑をするのが習慣だった。

 

ある夏の夕方、避暑にきていた浜辺を散歩していると、ふと前から妙な感じの男がやってくるのに気づいた。そうこうするうちに近づいてきて、衝突する!と思ったとき、男の姿はきえていた。

 

変なこともあるなと宿に帰ったが、その晩から猛烈な震えがおこり、これはマラリアにかかったのではないかと思った。

 

すぐに東京に帰り、薬を処方するがまったく効果がない。仲間の医師たちに「マラリアにかかったから、薬を処方してくれ」とたのんだ。

 

仲間の医師は「君の処方といっしよだよ」と取り合ってくれないが、そこをたのんで処方してもらったが、やはり効果がない。

 

そのうち、苦し紛れに浅草寺に参拝するようになり、少しずつ楽になっていった。

 

その後、母の法事があり、遺言のことを思いだした。そこで菩提寺の住職に「今回の法事にはお施餓鬼をお願いします」と施餓鬼供養を頼んだ。法事が終わって、頭を下げて一礼してから顔をあげると、目の前に亡き母があらわれて「Tやありがとう」と告げたという。

 

その不思議な体験を経て、T師はクリスチャンから熱心な仏教徒になり、ついには清水谷師の弟子になった。

 

T師は清水谷師にこの話をしたときに、「マラリアの症状はどうなった?」と尋ねられた。するとT師は「そういえば、法事のときからピタリと止まりました」と答えたそうである。

 


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清水谷恭順大僧正の染筆(善龍庵蔵)