このかたは、なんどか感想のご報告を頂きました。実は修行後も心の深い所では気づきや変化がおき続けていきます。また、内面が外界にシンクロすることがあります。心境冥会(しんきょうみょうえ)といって、心と環境はお互いに影響しあっています。
ちなみに壊れるという現象は改めるという、再生の意味があります。
「大森先生
滅罪会、有難う御座いました
ちょっと頑張ってみようと中呪を三日間、108回ずつ唱えてました。
中呪を唱えているとき、猛烈な眠気が出て
夢を見ながら違う呪を唱えて、目を覚まして唱え直したりしてました
変わったことと言えば、霊的なこととは関係ないのですが、
何故か食洗器と水洗トイレが集中して壊れて
食洗器は原因不明でしたが昨日修理が完了し、トイレ、ザアザア水が出て、昨日も今日も水浸しでした・・・
トイレは今日、自分でやっと直せました(仕組みがよく分からなかったので)
准提観音さんと烏枢沙摩明王は関係があるとか
トイレも食洗器も水でどちらも洗い流して綺麗にするという意味で
象徴的だなあと思ったりもしました。」
「追記ですが、
先月施餓鬼供養していただいた祖母の実家の◯◯家は羽黒を出てから、◯◯の能持院というところでした。
能持という意味を、今まで知らなかったのですが、
陀羅尼という意味もあり、記憶するべき仏の言葉であり、
更には、陀羅尼は法水を盛り、保存する器に譬えられることもあると知りました。
あれ?陀羅尼が法という水の器??
浄水供養や滅罪会とも関係がありそうで、不思議です。
にしても、ずっと直せないでいたトイレの水漏れが今日直ったのも
漏れていた水の器が直ったということで、不思議な気がしました。」
「大森先生
こんばんは
滅罪会、ありがとうございました。
昔、子供のようにかわいがっていた鶏を殺した父のこともずっと許せないでいる自分自身も仏さまに懺悔できることは、嬉しいと思えました。
まだ許せない自分も許して良いのだなあという気がしました
仕方がないとはいえ、蚊や微生物の殺生を自分も毎日続けている身であることも懺悔できて嬉しいと思いました。
ずっと引きずって、何かにつけて許せないと思っていたのが、洩れ続ける水と重なっていたような気も致します。
心という器が 修理される象徴だったら嬉しいと思いました。
できれば法をとどめられる器になれればいいなあとも思いました。」
「『お釈迦さまが父、准提観音さまが母となる』と大森先生が書いておられましたので
実の父母には言えないことも、仏さまに言えるのも嬉しいことだと思います
キリスト教は懺悔室で神様に悩み苦しみを預けられますが
神道では神前では感謝を奉げろと言い、
今の仏教は、普通のお寺で、そういう事はしておられなく、
普通の仏壇は先祖供養・崇拝の場になっているので、仏壇に向かって懺悔するということもできにくいですし
考えてみると、日本ではカウンセリング受けるくらいしか懺悔できる場がないのだなあと気が付きました
そういう意味で、貴重な救われる機会を与えていただきまして
有難う御座いました」