如意宝珠(にょいほうしゅ)
なんでもお願い事が叶う玉と言われている。
まるでドラゴンボールのようだ、いやまさにあの龍の持っている玉が如意宝珠なのだ。
みんなそれが欲しくてあちこちと探したり、昔は如意宝珠が埋まっていると言う山を盗掘した僧侶もいたぐらいだ。
実は仏舎利がそれだと聞いて、代替品の石を禁止されているのにも関わらず、砂浜に入って乱獲する輩もいると聞く。
まあ、それはそれで全く意味がないわけではないが、どこまでいっても代替品。
いわば如意宝珠の仏像である。(例外的に如意宝珠や仏舎利には不思議な話もあるので機会があったらご紹介したい。ただし一番大事なことは次に述べることである)
じゃあ本物のお釈迦さんのご遺骨なら何でも願いが叶うのかと思ったら大間違い。
お釈迦さんは苦笑いである。だいたいお釈迦さんご自身がそういう欲や身分を一切捨てて、ボロボロの袈裟と鉢を一つ持っただけの生涯だったのだから。
では本物はどこにあるのか?
それは、実は私たちの心の中にある。
浄菩提心が如意宝珠である。
あんまり近すぎて気づいていないのだ。さらには迷いの雲霧に覆われている。
ほんとかなぁと思う方もいるだろう。
あなたが拝む仏天の像のなかに、手に如意宝珠を持っているのをみたことはないか?
あれは拝む人に向かって「あんたたちは如意宝珠もっているんだよ」って教えているのだ。
(何何、「私は弘法大師を信仰していますが、弘法大師の仏像は如意宝珠を持ってませんよ」だって。お大師さんの頭をよく見てみろ。キューピーちゃんの頭のように如意宝珠の形をしてるから)
豪潮大和尚の道歌に
あら玉の 光を覆う 欲の皮
取りのけてみよ 如意宝珠なり
欲の皮 ひんめくりてみよ 胸のうちに
求めずとても 如意宝珠あり
さあ、あなたはそれに気づくことができるだろうか?
左手に如意宝珠を持つ弁天さま