お供え物は原則として拝む人の方に向けて供える。
昔テレビ番組である女性占い師(故人)が、ご先祖様にお花を供える時に、見てもらうんだから仏壇の方に向けて供えるべきだみたいなことを言ってたが、それでは一方通行である。
ご先祖様にお供えする時には、ご先祖様の中に本来ある仏様にお供えする。それと同時に自分の中の本来ある仏様にもお供えする。
言い換えればこちらが供養する時は向こうからも供養されている。
だから、お供えの花は拝む人の方向を向いている。
拝むものは、拝まれる。供養するものは供養される。
そのためには、まずこちらからである。
ゆえに三力偈は「以我功徳力」からはじまる。
私たちの修行の功徳力があって、はじめて如来加持力と法界力とが相応するのである。
施餓鬼供養も同じで、餓鬼に施してあげているのではない。
供養により餓鬼が本来持つ菩提心が現れる。
曼荼羅の聖衆であることに気づき働かれる。
こちらも功徳を積ませていただき、自らの菩提心が現れる。
餓鬼は慳貪(けんどん=けち、むさぼり)の業により、その果報で餓鬼の身をうけたのだ。しかし、そのおかげで施餓鬼供養を修してこちらが功徳を積み、悪業を浄除することができる。すなわち、餓鬼の悪業が仏の働きに転じた瞬間である。
ここに施餓鬼供養の妙味がある。