生駒山をはじめ、聖天様とお不動様をお祀りするお寺はありますね。
成田山でも土蔵造りの聖天堂があり、浴油されているそうです。
真言密教で聖天様を拝むのは、一番には障りを除くためです。障りの根本は慳貪などの心からおこります。聖天信仰が進むと、自然に欲心が整って足ることを知るようになります。いつのまにか、あれこれお願いしなくなります。はじめはご利益信仰でも、だんだんと仏道を志すようになります。するとお不動さんを拝みやすくなります。
お不動様は浄菩提心をあらわします。
もう一つ日々の御給仕。
きちんと毎日拝みますというのも結構ですが、社会生活をしていると難しいこともあります。
一時熱心になっても、あとでしんどくなるよりは、無理なく自分のペースで続けていく方がよいです。
自分のできる範囲で拝みますとお断りしておくのが無難です。
神仏は慈悲深いですから、それは途中からでも変更可能です。
そのときは怖い人ではなく、お世話になる尊敬する人に対するように、理由をつけてお断りするとよいでしょう。
シリソワカ
ここからいただいた感想
善龍庵 大森義成先生 おはようございます。
昨日はお忙しい中お不動様の要項を送って頂きありがとうございました。
申し込みさせて頂きますので宜しくお願い申し上げます。遅くなり申し訳ございません。
昨日はお伝えしませんでしたが、今回申し込みに迷ってましたのは、私は日頃お聖天さまにご縁を頂いていましてお浴油もお願いしたりしています。
自宅でもお給仕させて頂きますが、自分の体調や時間の都合でお給仕やお勤めをサボるときもございます。そんな状況の中で欲張って偉そうにお不動様にもご縁を頂こうとはお聖天さまに対して失礼なのでは?と思ったからです。
でも大森先生のブログを拝見してるとお不動様のご修行のことが気になって仕方ありませんでした。
なので、お聖天さまの寺院に出向き直接お尋ねしてきました。「お声は聞くことできないと思いますので僕にわかる形で何かおさとしください」と。
すると、大森先生や羽田先生のブログの中のお聖天様とお不動さまの関係や生駒の湛海さまのお話などを拝見したり、今までお不動様のお像が怖くて苦手意識があったのですが、(お不動様ごめんなさい)昨日お参りしてよく見たら、そんなに怖いお顔をされてないような気持ちになったりしました。
これは、お聖天さまが「修行をやれやれ!」とおっしゃってくださってるのだと勝手に思いまして、お聖天さまのお勤めをきちんと出来るようになってからお不動様のことをしよう!などと考えていたら生きてる間に間に合わないだろうなと思い至りました。
お聖天様の信仰は自分の中心として大事にしつつ、お不動様の修行を大森先生やご同行の方々に助けて頂きながら頑張ってみようと思いました。
2月27日は私の誕生日ですので、気持ち新たにこの2月から新たに修行させていただける良いご縁だと感謝いたします。