伏見稲荷の本社前には、かつて本社に向かって右側に弁財天、向かって左側に大黒天のお堂があった。
これを稲荷大明神を荼吉尼天のお姿で描き、三天を合わせて稲荷山福天として信仰を集めていた。
花洛名勝図会から江戸時代の境内図
本社に向かって右側に弁天と書いてある。北向きの弁財天だったようだ。
今の神楽殿のあたりだろうか。
昔、京都にあった弁財天二十九霊場の第20番目が伏見稲荷の弁財天であった。『稲荷百話』によれば、残念ながら神仏分離令のために明治4年3月4日に廃堂。
左側に大黒天 今の授与所のあたり、南向きのお堂。
この図では大黒天の隣が神楽殿である。
こちらも同じく明治4年3月4日に廃堂
そして.こちらが稲荷山福天の御影の一部
善龍庵蔵
伏見稲荷では残念ながら幻の信仰になってしまったが、不思議なご縁でこの三福天の御影を当庵でお祀りし、日々秘法を修して御供養している。
先般、お示しがあり、この信仰の宣揚のため『福天(ふくてん)福聚祈願会(ふくじゅきがんえ)』の修行を10月に行うことにした。
ご縁ある方は、ともに秘法を拝みましょう。(令和6年度の善龍庵の行事(彼岸やお盆の供養、施餓鬼供養を含む)に1度以上参加が福天福聚祈願会の参加資格です)
詳しくは秋季彼岸会の後に告知します。
シリソワカ 合掌