次に聞いた教えと道理をよくよく理解して、自分の心に思いとどめるのが「思」である。つまり心の修行である。心の持ち方、物の受け取り方はどうすべきであるかと日々の思いの上に心の働きを練るのがこの時である。
例えて言えば、自分は大きな天地の恵みによって生かされているということ。人間関係の全ては縁によって結ばれているのだから、これを大事にしなければならないということ、縁を大切にするところに栄えがあり、それを粗略にするところに衰えと破滅があるという道理を心に言い聞かすことなど、全て心の行を積むべきである。
こうして心の修行ができたなら、これで事足りそうなものではあるが、実はこれだけではまだ不十分なのである。この練られた思いが自然に次の「修」に移らなければならない。
※いただいた仏縁を大事に育てる人は、最後に大きな華を咲かせます。大森
※故松本実道長老著「仏とともに」朱鷺書房刊(絶版)から引用
(読みやすい異様に、若干文字や句読点、ルビ等を改めた)