私自身は、こころの修養に重きを置いている。
たとえ現世の利益があったとしても、こころの修養が伴わなければ、真の成長にはつながらず、悩みの根本的な解決にも至らないからである。
一つの悩みが解けても、また次の悩みが訪れる──人の心とは常に不安に揺れ動くものである。
もっとも、悩みや苦しみがあれば、神仏にそれを解消してほしいと願うのは、ごく自然なことであろう。
その心があるからこそ、人は祈り、手を合わせる。
とはいえ、現世利益を軽んじているわけではない。
真言密教においては「方便を究竟と為す」という教えの通り、三密行による加持祈祷は大切な行である。そして、仏の教えの中に入るための門でもある。
加持祈祷とは、ただ願いを叶えるためだけのものではなく、神仏にすべてをお任せし、安心して委ねるための修行でもある。
言いかえれば、「お任せする」心を養うための訓練といえるだろう。
ただし、これは「無責任に任せる」という意味ではない。
お任せしたうえで、自らも精進し、日々の修行を重ねていく──その姿勢こそが加持祈祷の真の意義であると感じている。
私自身、これまで五つの祈祷寺院にお世話になり、そこで多くの学びを得た。
その経験を通して、やはり「こころの修養こそが根本である」と深く感じるようになったのである。
修養を重ねていくうちに、不思議なことに、その人にとって本当に良い願いごとは自然と叶っていく。
流れが静かに整っていくのだ。その時期を待てるようになるのも修養である。
(無理に祈って願いを叶えようとしても、それがかえって不幸の種になることがある。だからこそ、神仏への“お任せ”が何より大切なのである。)
