わが心が感謝と歓喜に満つるに至ったならば、その人は天下無敵となる
筆者(橋本徹馬師)が30代の終わりに、毎朝日の出を見に行ったことがある。
それは晴天の日に限らず、雨の日も曇りの日も、風の日も嵐の日も一日も欠かさず。
さらに一度も日の出の時刻に送れぬように、品川神社の高台に登って、海から昇る朝日を拝する行を続けたのですが、そうすると千日目くらいから、へそのあたりに太陽が宿った感じがして、実に爽快になってきました。
そうしてその頃から筆者の運勢が開けたのを覚えています。誰でもこのような行を続けて、このような心境になれば運勢が開けることうけ合いです。
橋本徹馬著『人生を楽観すべし』紫雲荘刊
※大森談
この橋本師の文章を読むと、当時の師のお姿がありありと浮かんできます。
橋本師は北品川に住んでおられたため、毎朝、品川神社の高台へ足を運ばれていたのでしょう。
晴れの日も、雨の日も、風の日も、どのような天候であっても、師が静かに太陽の昇る瞬間を待っていた情景が目に浮かびます。
また橋本師は、黒住宗忠師を深く敬慕しておられました。
宗忠師が病床から起き上がり、日拝を重んじ、ついには天命直受されたように、橋本師もまた、その教えを日々の生活の中で実践されていたのだと思います。
単なる形式として日拝を行ったのではなく、師にとっては「天地への感謝を毎朝新たにする」という、まさに心の修行そのものであったのでしょう。
そして、ここで何より大切なのは、特別な宗教的才能や知識ではなく、「素直に続ける」という一点にあります。
雨の日も風の日も、心が揺れる日も、ただ一歩ずつ同じ行いを積み重ねていく。
その素直さと継続こそが、ある日ふと心の奥に陽光が差し込むような、腹の底から運勢が開けていく実感へとつながったのでしょう。
橋本師が身をもって示してくださったのは、「続けること」そのものが確かな道である、ということだと思います。
しかし、千日続けるというのは容易なことではありません。
私自身、当時は山寺におりましたが、日拝を千日続けることはできませんでした。
今ふり返ると、やはり大切なのは「千日という数字」もさることながら、「一日一日を意識して積み重ねること」だと感じています。
そして、この経験を通して、私は続けやすく、どこでも行うことができ、なおかつ功徳の大きい修行を長らく模索してきました。
続く
