昨日は初寅の開運毘沙門天供養会にて、毘沙門天法を修し、御同行各位の開運招福、報恩謝徳をお祈りしました。
修法の前後に、毘沙門天様とご縁の深い三人の方からご連絡をいただきました。
そのうちのお一人は、毘沙門天様への信仰の篤い阿闍梨様でした。
この方からは以前に、あるお寺で毘沙門天様に毎朝お給仕をしていた寺族の方が、災害に巻き込まれて生き埋めになりながらも、怪我一つなく助け出されたというお話を伺いました。
毘沙門天様は、原始経典にも登場する古くからの仏法の守護神です。
普段はなかなか厳しい修行をお示しになることもありますが、それは「功徳貯金」のようなもので、ある時期が来ると、その利子なようなものがご利益として現れるのですから、不思議です。
報恩謝徳でよく拝んで功徳を積むのがコツです。
真言密教では、諸流派ともに護法尊として特に大切にされています。
高野山の根本大塔は、毘沙門天様が手に持たれている宝塔であるとも伝えられています。
『仏説毘沙門天王功徳経』には、
「もし人ありて毘沙門天王において体を見、名を聞きて、心に念ずるものは、八万億劫生死の微細の罪を除き、百千億の功徳を得て、仏位に至る。現在に無量の福を増長す」
また、
「もし人ありて我が福を得んと欲せば、五戒を持ち、三帰して、無上菩提の為に願い求めば、決定して施与して、一切毘沙門の福を成就することを得ん」
と説かれています。
毘沙門天様の功徳を得るためには、まず仏・法・僧の三宝に帰依し、五戒を守ることを心がけて仏教徒として生きることが大切です。
戒は自己の宗教的規範であり、よくたもてば自らが整い、周囲も整っていくという功徳があります。なお、密教では五番目の戒として不邪見戒を採用しています。
そして、無上菩提のために願い求めることで功徳を授かります。
とはいえ、いきなり無上菩提を願うのは、ハードルが高く感じられるかもしれません。
そこで功徳経では、五種の心に限定して福を授けると説かれています。
一つ目は、父母孝養のためです。
人によっては親孝行が最も難しい修行かもしれませんが、まずは身近なところから始めるということです。
二つ目は、功徳善根のためです。
浄名院の八万四千体の地蔵菩薩像建立を発願した妙運大和尚は、その費用を毘沙門天様に祈願して得たと伝えられています。
三つ目は、国土豊饒のためです。
これは公共の利益のための願いともいえるでしょう。
四つ目は、一切衆生のためです。
一から四までは、言い換えればすべて利他行です。
身近なところから始め、すべての生きとし生けるもののために行じる、慈悲の実践ともいえます。
そして五つ目が、無上菩提のためです。
そのため、功徳経には自分の私利私欲を願うことは説かれていません。
それも当然で、毘沙門天様は仏法を守護する尊だからです。
しかし、安心してください。
この教えの通りに願い、祈り、実践していくと、自分の悩みや執着(私利私欲)は、いつの間にか薄らぎ、大いなる安らぎを得ていることに気づくのです。
そして、時期がくれば、一番良い形で当初の願望が成就しているのです。そのため、十種の利益が説かれています。
そして、もう一つ大切なことがあります。
拝むときに、ただ尊像を拝見するにとどまらず、手に捧げられた宝塔は、実は私たち自身の五体であり、その中の舎利、すなわち如意宝珠は、私たちの菩提心であると観想することです。
毘沙門天様と自分とを切り離さないことが肝要です。
さらに、真言を唱える音を耳で聴くこと。これが「名を聞きて」です。
真言は、毘沙門天様の梵語のお名前そのものだからです。
そのように拝むことで、自然とその三昧に入ることができるのです。

この毘沙門天像は仏法そして当庵に仇するものを打ち払うとの護法の誓願あり。
このお像は宝塔を捧げる代わりに、腰を支えてますが、これは五体がそのまま宝塔と同じである意義を示してます。