これは、泉聖天尊のおことば。
徹底した深い信仰の境地から出てくるお言葉です。
自分の不徳が恥ずかしい限りです。
さて、興教大師覚鑁上人の「末代真言行者用心」には、こう説かれています。
「いかなるをば深信(じんしん)という。いはく久しく修行して法験を得ずといえども疑いの慮(こころ)を生ぜず、退心を生ぜざるなり。このごとくの人必ず定んで悉地を成就す」
(深い信仰をもっている人は霊験があるとお経に説かれている。)
深い信仰をもっているというのは、たとえ長く拝んでいるのに、なかなか霊験が現れなくても、疑いの気持ちを持たずに拝み続けることである。こういう人はかならず霊験があらわれると。
そして、拝んで霊験が現れない理由には、
①仏様や諸天善神がその人の信心を試されているとき。
②本人の宿業が深く重いので、霊験の兆しがあっても気づいていないとき。
③魔障(や浮かばれない亡者、夜叉鬼神など)が邪魔しているとき。
これらの様々な原因があるので、怠らずに拝み続けることが大切です。ご用心ご用心。