人間関係の悩みのひとは多い。
そこで、なんとか相手を変えようと考えるのは、普通だろう。ただ、それに伴ってあれこれ行動しても、効果は薄いかもしれない。
ときには、祈祷で調伏したいという人もいるが、それで解決はつかない。もし、調伏の相手がいなくなったら、また似たような人が現れる。なぜなら、そのような人とつりあう縁があるからだ。
仏教では縁を重んじる教えであるので、まずは、自分にそういう方と縁があることを意識する。
そして、その縁を生かすため、その人との縁によって、いままでどんな学び、気づき、良いこと、などがあって、それにより自分の心が磨かれたか、事細かに観察してみる。
まあ、普段、そういう視点を養ってないと、初めはなかなか難しい。
憎い相手ならなおさら、難しい。
難しいがやってみる。
可能なら書き出してみる。観察してみる。こうすることで、智恵がうまれる。
さらに、どうやってその縁を生かすか工夫してみる。これで、智恵が深まる。
ここが肝で、その智恵が正しければ、それにともなった行動がとれる。
それにより自分の悩みは薄らぐし、解決につながるだろう。あるいは、いままでとは、もっと違う気づきがおこる。
しかし、これをすぐに行い難いひとは、ひたすら無心をこころがけて、真言念誦やご供養を修める。すると少し心に余裕がでてくる。
余裕がでれば、糸口がつかめる。
そこで、はじめて観察をしてみると良いだろう。
キリク 阿弥陀如来の種字「妙観察智」の徳