人間、生きていると自分の力のおよばない、「どうしようもないとき」が何度か訪れる。
密教の精神修養を志す方は、そんなときには、合掌して、ただ真言を念誦することだ。
多くは、時間が解決することがある。
それまで耐えるために、ひたすら自分の信じる仏天の真言を念誦する。
それはいつ、どこででもかまわない。可能なら声に出して、はじめはゆっくり目に唱える。もちろん、心の中でとなえても大丈夫。
複数、信仰する仏天があれば、それぞれを気持ちが落ち着くまで唱える。
いろいろと雑念や動揺があるだろう。それはそのまま仏天に預けてしまう。
預けにくいときは、念誦をやめ、深呼吸をなんどかして、また念誦する。
眼をあけて念誦するのが望ましい。
そのあと、少し余裕がでてきたら、ご縁のある方々や心の支えとなる神仏、ご先祖、、守護霊、人、物、場所などできるだけたくさん、思いつくまま「シリソワカ」と祝福していく。
すると意識が外に向き、視野が広くなる。
悩んでいるときは視野が極端に狭くなっているので、要注意。
さらに、相談できそうな信頼できるかたに話を聞いてもらえば、良いだろう。