よくこういう質問がある。
儀軌には108遍とか1080遍とか目安が説かれている。
それではそう唱えないと功徳がないのか、といえばそんなこともない。
一遍となえて功徳がないものは、千回、万回となえても功徳はないだろう。
自分でできる回数を決めて、日々精進することだ。
100万遍を念誦する虚空蔵求聞持法でも、儀軌(テキスト)には、法の通りにできずに、ただこの真言を念誦していくだけでも、虚空蔵菩薩に守護される功徳が説かれている。
毎日五分の修行を何十年もつづけたら、ある日突然と奇瑞がおきた某大阿闍梨もいる。
そして、大事なのは無功徳の功徳だ。この回数、そして功徳の有無にこだわらくなると無我相が身についてくる。そうすればしめたもの。
ただそれは修行を怠ってよいということではない。
功徳があろうとなかろうと、たとえ短くても日々続けていく、それはその人それぞれの状況があるからだ。
まあ、飯食う如く、毎日念誦してみては如何(いかが)。
追記
ちなみに、泉聖天尊は7日間参ると決めたら、8日お参りしたそうだ。
かならず多めに拝むのである。
たとえば1080回唱えるなら、さらに108回追加して唱えるということだろう。
ご参考までに。